時を受け止める包容力

久しぷりの再会でした。

再会といっても相手は木の人形です。

これは二十年ほど前に、私がデザインした「タマコロ・ファミリー」という製品で、丸い木の頭部と切り込みの入った胴体に、木玉をゴムで連げた手足がついています。

人形は修理の依頼で知人の奥さんから届いたのですが、手の玉は全部紛失し足のゴムも伸びてダランとしていました。しかし、全体のツヤツヤと茶色っぽい感じは、人の手の中で過ごしてきた多くの時間を想わせる良い雰囲気です。最初は、子供のおもちゃとして使い、その後もずっと家族の仲間として大切にしてきたとのことでした。

私たちはたくさんの「もの」に囲まれて生活しています。
それらは使うにつれ、汚れ、壊れ、捨てられていくものがほとんどです。しかし私は、「木のもの」には、時間の経過の中で人の体温や思いを受けとめる包容力のようなものがあると感じます。木製の古い生活用具が美しいのは、それを使い続けてきた道具と人との関係が表われているからでしょう。

私の家にも、毎日使っているエゾ松材のお椀があります。口をつける周りのところがギザギザになっているのは、子供たちが赤ん坊の頃「歯がため」として噛んだキズです。今は中学生になった彼らにこの話をしても他人事のようにしていますが、私にとっては子供の成長と過ぎた時間を実感する大切なものとなっています。

木の人形に話をもどしましょう。

タマコロ・ファミリーは今までに5万個ほどが製品として作られてきました。そこには、おなじ数だけのタマコロと人の出会いがあり、物語も生まれてきたことでしょう。ロング・セラーであるためには、デザイナーだけではなく、作る人、売る人、使う人の協力が必要です。地球環境を守るためには、森林の保護が大切なことをみんなが考えるようになりました。日々の生活の中で、一人一人が素材としての木を慈しみ大切に使っていくことが、樹や森を慈しむことにもつながるのではないかと思っています。

私は修理のため帰ってきた人形に新しい木玉で手を作り、ゴムを替え、蝶ネクタイをつけました。 そして、修理の終わったタマコロに「元気で、いってらっしやい。」と声をかけて送り出しました。

KEM工房 煙山泰子 (1999)