赤い鳥

イチイ材で鳥を作りました。

これは10年ほど前、実家の庭の木を伐った時の材料です。私が小学生の頃から植えていましたが、30年以上経っても太さは直径15センチほど。

イチイは成長が遅く、太くなるのに時間がかかるので貴重な材です。愛らしい赤い実がつく針葉樹で、北海道では「オンコ」の名で親しまれています。

最近は日々の忙しさに追われて、「ものづくり」の楽しさを忘れがちなことに気がつきました。

「木とふれあい、木に学び、木と生きる」木育の活動のなかで、多くの人と出会うことができました。これまで関わりの少なかった環境系や行政の方々と語り合う時間は有意義で素晴らしいものです。自分の外にも中にも世界が広がり、さらなる可能性を見つけることができます。

それでも無性に、木に触りたくなる時があります。そんな時、目に留まったのがイチイの切り株でした。二股の枝の部分をY字型に切ったものです。以前にも、同じような枝材で4羽の鳥を作ったことがあります。

今回はスウェーデンから資料として手に入れたナイフを使ってみたかったのです。全長20センチ位、刃先に反りがついた両刃のナイフです。大柄な外人さんの手に合わせたサイズだからでしょうか?握りの部分が太くて丈夫な造りです。スウェーデン鋼で有名な国の刃物なので、使い慣れると良く切れました。

何にも考えず木を削っていると、時間を忘れます。
完成までの効率を考えれば別の加工法なのですが、木を削る楽しさを味わうための時間なので・・・。

緻密なイチイ材は、飛騨高山の一刀彫りにも使われる彫刻には最適な材料です。艶のある彫り跡を残して仕上げました。

半日ほどの作業時間だったのに、刃物を押した指の部分が赤く腫れてジーンと痛みます。

それでも満足!良い時間でした。

体長24センチ、高さ10センチの赤い鳥が生まれました。尾の部分は枝の形をそのまま活かして紙やすりで磨き、植物系のオイルで仕上げました。

五感と響きあう感性

古い掛け時計

見ているだけで 「コチ、コチ、コチ、コチ ・・・・」 聞こえてきませんか?
長い針(分針)が真上に来ると 「ジー」 とゼンマイの低い音がして
「ボーン、ボーン、ボーン ・・・」 と鳴ります。

この時計は私の夫の祖父の家で使っていたものです。義母が嫁ぐときに持ってきて以来、ずっと納戸に眠っていましたが、昨年 我家に譲り受けました。

唐草模様の風呂敷に包まれ文字盤は厚紙で保護してあったのですが、開けたときには文字盤のガラスが割れていました。汚れを拭いたり触っているうちに「コトン」と音がして、時計の中からゼンマイ回しが出てきました。早速ゼンマイを巻いて、振り子を揺らしたら・・・・ちゃんと動いたんですよ!ボンボン時計の懐かしさに浸っていたら、息子が部屋から出て来て「音が、うるさい。」の一言で運転終了。でも壁に掛けてあるだけで、レトロな存在感があります。

最近 息子が一人暮らしを始めたのをきっかけに、また動かすようになりました。今は振り子を調整中。何十年かぶりに働いたのに、1日で10分位の誤差です。振り子が左右に動くのを観るのも楽しいし、なんだか一生懸命やっている様子がいじらしくて、心が優しくなってきます。

振り子のコチコチ催眠術? この後、猫は眠ってしまいました。

振り子のコチコチ催眠術? この後、猫は眠ってしまいました。

この時計が過ごしてきた時間とそこで営まれてきた家庭の情景を想像しました。昭和初期の日本の生活は現代と比べれば、不便で貧しく大変だったろうと思います。しかしそれゆえに、人間の生き物としての感覚や感性は豊かで優れていたのではないでしょうか。

デジタル数字で表示される無機的な時間を視覚で知ることと、手でゼンマイを巻いて時計を動かし文字盤の針と音で感じることの違いです。現代人は暮らしの中で五感を育む機会が少なくなりました。人の感性(感受性)は感覚と呼応して磨かれてゆくので、五感を使うことは身体を使って自分自身の心を開いてゆくことです。

家庭や学校をはじめ社会の様々な場で「ふれあい」という言葉が大切にされています。それは心も体も触れ合う機会が減り、お互いの「つながり」を感じられなくなっている現状があるからでしょう。

現代人の五感(視覚、聴覚、味覚、臭覚、触覚)のなかで、最も失われている感覚が触覚なのだそうです。

木に触っていると癒されるとか、木は優しくて心がなごむと言われます。そしてその感覚の原点は「なつかしさ」ともつながります。日本は豊かな森林に恵まれ、大昔から木を生活のなかで使い続けてきました。だから木に触れると、眠っていた感性が目覚めるのでしょう。

いろいろな木のモノに触れて「これ良いな~」と感じたものを、毎日触り続けてみてください。いつか、それが自分にとってかけがえのない大切なモノになるはずです。そんな経験をとおして生き生きとした感性を磨いてゆけば、自分のまわりの人にも、自然にも、かけがえのない大切なモノがたくさんあること。そして、それらが「つながっている」ことに気付くでしょう。

「 石狩の種 」から生まれた「 ゆらり種 」

ひさしぶりに種シリーズの新作が出来ました!直径25センチの大きな丸い種です。
芽の部分を押すと前後にユラユラ揺れはじめ、止まるまで約2分間。ゆったりとした時間が流れます。
この種が生まれるまでを、紹介します。

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2000年にオープンした石狩市民図書館・子供コーナーの閲覧テーブルには7つの種が取付けられています。

その中で一番大きな「石狩の種」の芽が何かの事情で、根元のところから折れてしまいました。うさぎの耳のような形が楽しくて、きっと子供たちが可愛がり過ぎた?のでしょう。通常の修理では不安なので、バージョンアップした芽を作り直すことにしました。

木の材質をブラック・ウォールナット(黒クルミ)から、ムラサキ・タガヤに変えました。タガヤサンは鉄刀木と書く、とても硬くて重い木です。出来上がった芽は、形も以前より太めで見るからに、たくましく成長しそうです。

木のものは手入れしながらいつまでも使えるので、古いものほど風格が出てきます。種の丸い部分は4年経っているので、人の手に触れたぶん良い風合になっています。

7月22日、生まれかわった「石狩の種」を取付けに行きました。お天気が良かったので、草原に種を置いて図書館のイメージ用に写真撮影。

この日は夕方から「石狩市民図書館とあゆむ会」主催の図書館交流会が催され、6月1日に第9回公共建築賞優秀賞を受賞した報告とお祝いがありました。

無事、こどもコーナーに戻った「石狩の種」
壁のペイントは影絵のように、大きく育つイメージで描かれています。
閉館直後の夕方の陽射しの中で、静かなひとときでした。

そして、私の所には古いほうの芽(黒クルミ材)が残りました。根元の部分は折れましたが、とても良い風合いになっています。触っているうち、これに似合う新しい種を作ってみたくなりました!

「丸くて、大きくて、ゆったり、ゆらゆら・・・」そんなイメージで倉庫の材料を探していると、桑の切り株がありました。15年位前、近くの幼稚園の樹を切った時にいただいた材です。枝が二股になっているY字型の切り株でしたが、チェンソーで丸く荒削りしてから種に仕上げました。

ゆらゆら揺れる工夫は、底の部分にあります。底面がゆるいアーチ型に削ってあり、それに沿って揺れるのです。これはウイスキーのビンが、ヒントでした。

この材料は自然乾燥で割れやシミなどあり、節も多かったのですが、ていねいに仕上げると特徴がはっきり出て素敵な種になりました。こうして、「石狩の種」から「ゆらり種」が生まれたのです。

SEVEN BALLS

2003年9月に幌南学園幼稚園 の遊戯室にステンドグラスをデザインしました。実物を現場に取付けた時、光の変化でさまざまな表情を見せるステンド・グラスの美しさにに感動!そして、いつか自分の手で作ってみたいと思っていたのが、実現しました。

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いつも制作をお願いしているクリエーション工房さんの親切に甘えて、個人指導していただくことになりました。

初心者ですから、普通は小さなステンドグラスから始めるべきなのでしょうが・・・・大胆にも、自宅玄関の採光窓に挑戦することにしました。

6月15日までに、デザインを決めて原寸図3枚を描くのが最初の宿題です。

<デザイン・コンセプト>
楽しくて元気の出るデザイン

最初のイメージは、太陽、デージーの花、クローバーの葉、7個の星など・・・そして、7個のボールに決まりました。

工房に通いはじめて、1日目
窓の大きさ(1210mm×370mm)の原寸図を3枚持ってきました。原寸図の1枚をを板に貼りつけ、使うガラスを選びます。

2日目は、カットしたガラスを断面H型のステンドグラス用鉛線(ケイム)で組んでゆく作業です。
6mm幅のケイムに左右からガラスを組込むのですが、これが経験と技術の差が出る、一番根気のいる工程です。最初はすごく時間がかかって、一日で終われるか心配したのですが・・・だんだん上手くなって、終わる頃には職人気分!

3日目
ケイム(H型のステンドグラス用鉛線)の継目を半田で固定してから、ステンドガラス用のパテを埋めます。パテが固まるのに時間がかかるので、この後4日間休みました。

4日目
パテが固まったので、余分なパテを木のヘラや目打ちで削り落とします。金属保護剤を塗って完成。

(有)クリエーション工房の菊池さん、本当にお世話になりました。感謝しています!!
やっぱり自分で作ったものは、良いですね。( 超 自己満足 )

うさぎのレリーフ

2003年9月末に完成した札幌の幌南学園幼稚園 レリーフの製作過程と「うさぎたち」を紹介します。

幼稚園で過ごした時間が、印象深く楽しい思い出として心に残るように・・・との思いから、子供たちの日々の成長を見守るシンボルとして、動物をデザインすることにしました。

どの動物にしようかいろいろ考えたすえ、身近で親しみやすく快活で、自分からは声を出さない「うさぎ」に決めました。

園内の「うさぎたち」が、友達として、またある時は親や先生、兄弟、動物として、いつも一緒に過ごすのです。

<デザイン・コンセプト>
子供たちの成長を優しく、おだやかに受け入れる場
・使いやすく心地よい感触
・安全と健康への配慮
・統一感のある美しいデザイン

子供たちの心に残る幼稚園
・美しいものや素材に出会う
・日々の成長を見守るもの
・ともに育ってゆくもの
・園内行事の演出
・受け継がれるストーリー

イメージが決まったら、実際の大きさ(3m×1.35m)の1/10でデザイン画描きます。これに樹種や板の厚さ、加工の仕方などの指示をいれます。また必要に応じて、原寸大の部分模型や塗装の見本も作ります。

ここから先は、いつも制作をお願いしている(有)クリエーション工房さんとの共同作業です。原寸図をチェックしてから、クリエーション工房さんが実物の制作にかかります。

今回のレリーフでは、新しい試みとして「そろばん玉」を使ってみることにしました。

これは『播州そろばん』の産地としてとして有名な兵庫県で、30年前までそろばんを作っていた方から、いろいろな種類の「そろばん玉」を譲り受けたことがきっかけです。日本の伝統工芸の技術が生かされた「そろばん玉」の感触は指先に心地よく、パチパチと音をたてていると楽しい気分になります。

子供たちに、ぜひ触らせてあげたいと思いました。

 全体の切りぬきが終わり、仮組みしたところ。

 全体の切りぬきが終わり、仮組みしたところ。

 部分ごとに、顔料系塗料で着色していきます。

 部分ごとに、顔料系塗料で着色していきます。

 「そろばん玉」は、黒檀・柘植・樺・紫檀など

 「そろばん玉」は、黒檀・柘植・樺・紫檀など

 これで完成!

 これで完成!

 各ピースごと高さを変えたり、削ったり・・・

 各ピースごと高さを変えたり、削ったり・・・

 大好きなデージー(時しらず)の花。

 大好きなデージー(時しらず)の花。

 最後に私がミニ・ルーターでサインを入れました。

 最後に私がミニ・ルーターでサインを入れました。

次は、取り付けです。

現場の壁に原寸図を貼って、位置決め。

現場の壁に原寸図を貼って、位置決め。

取り付け完了。他の「うさぎたち」を紹介します。

取り付け完了。他の「うさぎたち」を紹介します。

「掲示板うさぎ」

「掲示板うさぎ」

玄関のくつ箱の「立ちうさぎ」 そして・・・

玄関のくつ箱の「立ちうさぎ」 そして・・・

ベースを付けてから、ピースを組んでゆきます。

ベースを付けてから、ピースを組んでゆきます。

「階段うさぎ」階段仕切り壁のまる穴の両面レリーフ

「階段うさぎ」階段仕切り壁のまる穴の両面レリーフ

トイレの「3匹うさぎ」

トイレの「3匹うさぎ」

玄関の外には、お迎えと見送り役の「玄関うさぎ」

玄関の外には、お迎えと見送り役の「玄関うさぎ」

手のなかの森

私が始めて津別を訪れたのは、今から35年前の秋です。森は美しい紅葉のさかりで広い空の下に山全体が黄金色に輝いていたことが印象的でした。その後、津別を訪れるたびに出会う森の風景が積み重なり、札幌に生まれ育った私自身の森のイメージの源になっています。

そこから設立したばかりの津別町木材工芸協同組合と共同で木工クラフトを商品化する仕事が始まりました。目的としたのは、「木のまち津別」そのものを商品として発信する試みです。それは、「木のつべつの木」という名称があらわすように、商品全体が地域の特性を持つことです。いいかえれば、単に道産材を使って目新しい木工製品を製造・販売するだけではなく、北海道の木で私がデザインし津別の人が作った「もの」が、どれだけのことを「語る」ことが出来るかの挑戦でもあります。
手に取ったひとつの木工クラフトから手触りや、音や、香りを通して、北海道の森を想いデザインの心を感じてほしいと思いました。

たとえば、KEMの製品に「タマコロ・ファミリー」という木の人形があります。木玉の手足と体がゴムひもでつながり、胴体の切込みにあわせて動くので、いろいろなポーズが作れます。この人形たちが、津別の森の中で楽しそうにしている様子を想像してください。森に住む動物や植物と共存して暮らす豊かなイメージが広がって行きます。それは、木の人形の世界だけにとどまらず「愛林のまち津別」にも重なります。

十種類の道産材で作った木のタマゴ「森の鳥たちからの贈り物」は、それぞれの木の色や、重さ、木目などの違いを知ってもらうための素材見本として考えました。
生き物の生命を感じさせる木のタマゴから、一本の樹へ、そして森へと続く・・・ 『 手のなかの森 』を感じてもらいたいと思ったからです。
手にしたタマゴを慈しむように、子供たちの心に森への慈しみが生まれることを願ってデザインしました。

産業的に見ても日本経済全般の低迷の中で、特に北海道の木材・木工産業は大変厳しい状態が続いています。たんに、同じような商品を作るためならば海外の安い素材と人件費を利用するやり方もあります。しかし、北海道の木の素材にこだわり、津別町木材工芸協同組合の「木のつべつの木」として自信を持って送り出す商品としては、ふさわしい手段ではありません。

一般の日常生活用品の消費サイクルは短く、次々と新製品が作られ消費されてゆきます。
ですが、木で作られた「もの」は木がゆっくり成長するように、ゆっくり使っていきたいものです。
何代にもわたって使い続けられてきた木の道具が「語る」言葉は、人の心におだやかに届くでしょう。そして、その「もの語り」に共感する人達が多くなり、みんなが木や森や地球のことを話し合えるようになれば、すばらしいと思っています。

「きんぎょ」が生まれるまで

ひとつのものが形になり、製品化(商品化)される過程はさまざまです。

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わたしの場合、発想から試作を経てデザインの決定までは、KEM工房で自分でしています。
一般的なデザインの分野では、大きな組織になるほど専門ごとに作業は分かれ、分業化が進んでいます。ですから、わたしのようなやりかたは少数派?でしょう。

それでは、最近作「きんぎょ」の場合を紹介します。

KEMの木のタマゴを抱いて毎晩寝ている子がいるそうです。木を触っていると、なぜか心が落ち着いていい気持ちになります。「子供からおとなまで、だれでも愛着がもてるかたちは?」と考えていました。 そして・・・・昔懐かしいブリキの金魚がうかんで来ました!

だいたいの大きさや形がイメージできたら、隣の木工室で、試作にかかります。

左より試作順です。目や尾の形、バランスの支点などを変えていろいろ作ります。この作業が、一番楽しい時間。

形がきまったら、図面化します。製品化しやすいように各部の寸法を調整したり、型紙を作って木取りを確認します。

さらに、木の種類を変えて作ってみます。ここまでが、KEM工房でのデザイン作業です。これからさきは、津別町木材工芸協同組合と共同ですすめます。

製品としての工場試作、価格やパッケージの検討、カタログ等の販促方法を決めてゆきます。およそ3ヶ月余りで、

手で見るシリーズ1 「きんぎょ」 完成 !

今後 このシリーズは、3~5種類になる予定です。

時を受け止める包容力

久しぷりの再会でした。

再会といっても相手は木の人形です。

これは二十年ほど前に、私がデザインした「タマコロ・ファミリー」という製品で、丸い木の頭部と切り込みの入った胴体に、木玉をゴムで連げた手足がついています。

人形は修理の依頼で知人の奥さんから届いたのですが、手の玉は全部紛失し足のゴムも伸びてダランとしていました。しかし、全体のツヤツヤと茶色っぽい感じは、人の手の中で過ごしてきた多くの時間を想わせる良い雰囲気です。最初は、子供のおもちゃとして使い、その後もずっと家族の仲間として大切にしてきたとのことでした。

私たちはたくさんの「もの」に囲まれて生活しています。
それらは使うにつれ、汚れ、壊れ、捨てられていくものがほとんどです。しかし私は、「木のもの」には、時間の経過の中で人の体温や思いを受けとめる包容力のようなものがあると感じます。木製の古い生活用具が美しいのは、それを使い続けてきた道具と人との関係が表われているからでしょう。

私の家にも、毎日使っているエゾ松材のお椀があります。口をつける周りのところがギザギザになっているのは、子供たちが赤ん坊の頃「歯がため」として噛んだキズです。今は中学生になった彼らにこの話をしても他人事のようにしていますが、私にとっては子供の成長と過ぎた時間を実感する大切なものとなっています。

木の人形に話をもどしましょう。

タマコロ・ファミリーは今までに5万個ほどが製品として作られてきました。そこには、おなじ数だけのタマコロと人の出会いがあり、物語も生まれてきたことでしょう。ロング・セラーであるためには、デザイナーだけではなく、作る人、売る人、使う人の協力が必要です。地球環境を守るためには、森林の保護が大切なことをみんなが考えるようになりました。日々の生活の中で、一人一人が素材としての木を慈しみ大切に使っていくことが、樹や森を慈しむことにもつながるのではないかと思っています。

私は修理のため帰ってきた人形に新しい木玉で手を作り、ゴムを替え、蝶ネクタイをつけました。 そして、修理の終わったタマコロに「元気で、いってらっしやい。」と声をかけて送り出しました。

KEM工房 煙山泰子 (1999)    

紙やすりのこと/オイル仕上げ

紙やすりのこと

木工の「陰の功労者」と呼べるのが、サンドペーパー(研磨布紙)です。切ったり、削ったり、組立てたり・・・これらの加工の次には、かならずお世話になりますね。

研磨布紙の始まりは、12世紀頃より乾燥した鮫皮でものを擦り磨いていたらしく、13世紀になると中国では貝殻をゴム質樹液で羊皮紙や皮につけてつけて使っていたようです。今は、貝殻から人工研磨剤へ、ゴム質樹液はニカワ、レジンへ、羊皮紙は紙、布へと発展して多様な製品が作られています。

市販の紙やすりは、研磨剤の粒子の粗さで分けられ、番手で表示されています。実際の木工に使うときの目安としては、おもに80~400番を用途に合わせて使います。また、機械サンダーより手でかける時の方が一段階細かい物を使った方が良いでしょう。

80番~100~120番(荒い)・・・・・・・・・サンダーによる粗削り、形の成形、荒肌仕上げ
180番~240番(中くらい)・・・・・・・・・・・素地の仕上げに最も良く使う。
320番~360~400番(細かい)・・・・・・塗装前後の調整
600番~800~1000番(ごく細かい)・・堅木の超仕上げ、塗装後の表面みがき
(裏が黒い油紙のものは、水/油砥ぎ用)

平面を手でかける時は、基準面ができるようにキャラメルの箱くらいの木片に紙やすりを巻きつけて使います。荒いペーパーで乱暴に磨いたキズは、意外と残るので木目に沿って均等にかけてください。

昔からある薄茶色の紙やすりは、研磨材に天然のガーネットを使っているのですが、表面が白色のもの(スリーエム製など)は、目詰まり防止剤を塗布してあります。こちらの方が断然よく削れます。また、ベルトサンダーのベルトも、従来の茶色のアランダム(褐色酸化アルミナ)から、最近のセラミック砥粒のものまでいろいろと進化しているようです。

ところで、紙やすりは使い捨ての消耗品だと思っていませんか?

数回使ったものでも、表面についている削りかすを払えば、細かい少しソフトなものとして曲面の磨きや、塗装前の仕上げに使えます。また、プラスチック、陶器や金属も削れるので、買ったばかりの陶器の裏のザラザラ取りなど、日常にも利用できますよ。しかし、素材を削り取ってしまうので表面処理してあるものは注意してください。

また、健康のために削りかす(粉)を吸い込まないよう気をつけましょう!!


簡単なオイル仕上げについて

木工品の最後の仕上げ(塗装)のお話です。削ったり、サンドペーパーがけしたものを白木のままで使うのもいいですが、ほこりが付きやすく汚れが染み込むのが気になります。ですから、市販の木製品の多くは塗装仕上されています。この数年、安全性や作業時の健康に配慮した植物性オイル系の自然健康塗料に関心が高まっています。健康とエコロジーの思想から生まれた製品で、ドイツからの輸入品が多いのですが、価格が高いうえ販売店も限られるのが難点です。

そこで身近にあるオイルや素材の中から、このような仕上げに使えそうなものを試してみました。安全性については食品用オイルとして販売されているものなら大丈夫ということで使っています。
最近は、デパートの地下の食品売場にも植物性オイルがいろいろ並んでいますが・・・・

結果としてはサフラワー・オイル(紅花油)が、一番のおすすめです。

サンフラワー・オイル(ひまわり油)は乾くのが遅いようです。ウォルナッツ・オイル(くるみ油)も使えますが、クルミは実のほうが身近ですね。むき実を布にくるんで叩いて潰し、油のにじみ出たところで拭きます。クルミ材なら、親子塗り?でしょうか。
市販の自然健康塗料には乾きが早く塗膜が強い、リンシード・オイル(亜麻仁油)が主に使われていますが、乾性油(空気中の酸素の酸化重合で固まる)ならOKです。ゴマ油やオリーブ油は、乾かないので塗装にはむきません。

使い方は、いたって簡単!!塗って拭くだけです。

削ったり、サンドペーパーがけした素地がそのまま残りますので、仕上げは丁寧にしてください。塗って2~3分置いて、布でよくふき取ります。表面にしみこむだけですので、一回では濡れた色程度の仕上がりですが、乾いてからくり返せば濃くなります。また、何年も経つうちに、だんだんと良い色になって行きます。完全に乾かないうちは、油ジミが付くことがありますので注意してください。

わたしは自宅のカッティング・ボードを毎年一回、紙やすりをかけてからオイルを塗って使っています。汚れ止めになりますし、何度も手をかけるほど道具への愛着もわいてきますよ。

手の散歩

はじめて作ったウサギのパズル。

はじめて作ったウサギのパズル。

木でものを作るようになったきっかけは、大学時代に自分でデザインしたウサギのパズルを作ろうとした時のこと。木工の先生から手渡されたのは古くて汚い一枚の板でした。

鉋の使い方から手ほどきを受け、苦労してなんとか削りました。汚い板の中から表れたのは「ああ、これが木だなあ。」いう木目と香り。木と自分は相性が良いと感じました。

好きで殆めた仕事でも、時には気が乗らないことがあります。頭の中でイメージしたものが、いつまでも形にならないのです。家事や日常に追われる中、ようやく時間がとれても、いざ作ろうとした時に手が思うように進まない・・・そんな時には「手の散歩」をします。

たとえば、木の皿の場合。散歩のコースは、工房の端材の中から厚さ3センチほどの板を探し、糸のこで直径13センチの丸型に切り抜き、内側をドリルで荒削り。あとはひたすら彫刻刃で彫って、菊の花のように放射状の彫り跡を残して仕上げます。所要時間は3時間ほど。

こうして短時間で一気にできる『散歩皿』は、素朴で力強く美しいものです。植物性のワックス・オイルを拭き込んで完成。自分だけの、自分のための時間です。

手の散歩には、決った型があるわけではないので、身近な材料で好きなものを作ります。

木の皿の前には、植物の種の形をした「触れるための木」を作っていた時期があります。種の形に興味を持ち、モモやビワ、カキ、リンゴなどの果物から豆や木の実へと観察はひろがっていきました。小さな種の中に込められた自然の造型の巧みな美しさに感嘆し、そのイメージを木で表現します。手の散歩のつもりで始めた種ですが、それは後に「種シリーズ」となりました。

手の散歩の中ではいろいろな事を考えます。たとえば木材の年輪の一本一本が、その木が植物として生きた年月の積み重ねなのだということ。数えてみれば、同じ地球の上で私の年齢より何倍も永い時間を過ごして来た相手と手の中で出会ったという感覚。木目やシミ、ホクロのように見える小さな節なども語りかけてきます。太い丸刃で彫るたびに木片が飛び出し、刃物の跡が残ってゆきます。

作業を進めているうちに、不思議と心が解き放たれ、のぴのぴと想像の世界へ入っていることに気づきます。それは、心をひらいて素直な自分になれる時間です。

人は原始時代からずっと、木で道具を作ることをとおして同じような感覚を持ち続けて来たのではないでしょうか。「木は人に優しい。木は暖かい。」と言われますが、木は植物として生きてきた時も木材として利用される時も、じつに寡黙で包容力のある相手です。

でも、その優しさや静かな包容力ゆえ、人は自分の利益のために相手を傷つけることに、無頓着であったように思います。身のまわりから自然がどんどん失われてやっと、そのことに気づきました。ずいぶん以前から、人は自然に対する誠実さを失っていたのでしょう。

木でものを作り、それを使う楽しさを一人でも多くの人へ伝えたいと思っています。

「木って、いいな。木が好きだ。」と感じる瞬間があれば、そこから生まれる興味は「知ること、学ぶことの楽しさ」につながり、それを共感できる人がいれば、楽しさや喜びはより大きくなるはず。

だれかのために、心をこめて作るのは素敵なことです。
私にとっては、それが 『子供たちと、かつて子供だった人への贈りもの』